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yuuの一人芝居

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味噌蔵

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       味噌蔵



 倉子城村には真ん中を汐入り川が流れ、その両側に蔵屋敷が林のように並んでいた。普通は二階蔵なのだが、三階蔵もかなりの数であった。この蔵は倉子城の独特の建物で壁と壁の間に食用の味噌を詰め込み耐火蔵としたものである。味噌を入れたことから味噌蔵と村の者は言った。味噌を入れることを誰が考えだしたのかさだかではないが、飢饉天災の折り味噌蔵は壊されて食用になった。また、みんなが麦を持ち寄って貯え救済の蔵を造った。それを義倉と言った。倉子城の蔵の貯蔵高の何石蔵と言うのも、入る量ではなく内壁を乾かすのに炭をどれだけ使ったかで決まった。

 汐入り川は荷物の出し入れのために造られた運河である。児島湾の汐が上がってきて、蔵の石垣を洗ったところから「波倉」と呼ばれ、倉が多いところから「倉舗」とも言われていた。また、村の東の小高い向山にあった砦を「倉子城」と記されている。



 船倉は荷を運ぶ舟の溜り場であった。川人足はその周辺に住んでいた。甚六の長屋もそこにあった。甚六はこの村の者ではなかった。何時の頃からか流れて住み着き、主人持ちではなく、仕事がある時は働くという身だった。その他の空いた時間は賭け将棋ばかりしていた。指した人に聞けば強いのか弱いのか分からないということだった。少し影のある男で、三十を少し過ぎていたが独り身であった。世話をする人がいても耳を貸そうとしなかった。

「なあに、あっしなんか・・・。一人の方が性にあってますから」

 と嗤ってかわした。

 甚六は月の半分近く、四十瀬から松山川を下り五軒屋の渡しから江長に出て連島の角浜へ通った。角浜には女郎屋が数軒あった。

 連島は玉島と同じで、海岸を持たない諸藩が荷の出入りをさせるために造った港があった。人の出入りも荷の出し入れも盛んで、下津井港と角浜は遊興の地があり有名だった。 その地を甚六は訪ねるのだから、誰かに逢わないのが不思議だ。

「甚六には馴染みの女がいる」と言う噂が広がり、連れ合いを貰わないのはその所為だと言われるようになった。そんな噂を聞いても甚六は頬を緩めているだけであった。

 甚六の生活は変わらなかった。いや替えようとしなかったといった方がいいかもしれない。

「なあに、根っからの職人だよ」と仲間は言ったが・・・。

 床屋の嘉平に言わせれば、

「変わってますな、なにか訳ありのお人・・・、元は侍かもしれないな」

 とよく研いだ剃刀で捌くように、甚六についてそのように言った。

 甚六が村全体の溜飲を下げる事件を起こすことになるのだが・・・。



 時は文久の三年続きの飢饉の後、幕府が出した津留め令、その令を破って下津井屋、児島屋、浜田屋が裁きを受けたが、代官交替で櫻井久之助が着任すると、倉子城は港ではないから津留め破りなど起ころう筈はないと無罪にした。この裁きをめぐって大きな事件が起きるのだが、それは後の話として・・・。

 つまり、江戸末期、幕府の屋台骨がぐらぐらと、商人が天下を取っていたということを承知しておいて頂き・・・。蛤御門の変の後、幕府は長伐軍を芸州口まで行かせ陣していた頃であった。

 代官櫻井は金と女と将棋が大好きという男であった。 櫻井は長州の動きを探るため、年に何度か安芸へ出向いていた。それ以外は殆ど何もすることがなく、村の旦那衆を集めては将棋の相手をさせ、駒を指先で器用に弄びながら名字帯刀を五十両、永代名字帯刀を五百両と王手飛車を打っていた。

「この度拙者がここの代官になって二年になるのを機に、将棋の達人を決めたいと思うとるがどうであろう」

 と将棋相手の児島屋に言った。

「それは面白う御座いますな」

 と世辞に長けた児島屋が話に乗った。

「面白かろう、村人との親睦になり、埋もれた人材を掘り起こし代官所に抱えたいと考えておる」

 櫻井は強面の顔を崩しながら言った。

「それでは、達人を武士に取り立てということになりますな」

「そうよ」

「それはまた、代官さまの豪胆な計らいですな」

 と言うような訳で、倉子城村将棋大会が決まった。

 腕に自信のある者は誰でも構わない。身分を問わない。一番なった者には金五十両、望めば代官所の抱え武士に取り立てる。と言う高札が村の随所に建てられた。



 将棋は奈良、平安の頃に中国から流れてきた遊びであった。大きさもまちまちで、今の形態になったのは江戸時代である。が、名人、王将などという位はなかった。 江戸時代に、将棋を支配していたのは、大橋、大橋西、伊藤という流派で、幕府の庇護の元、大名、武士、裕福な商人に教えていた。将棋好きは三家の何れかの門下生であった。庶民は見様見真似で覚えた将棋で賭けをしていた。

 中には、家名を賭けての将棋対局、一門の名誉を賭けての三家の対局、色々と将棋で決めることが多かったのだ。大橋、大橋西、伊藤の力は大きかったのだ。

 櫻井は幼い頃より伊藤に学んだ門下生であった。空き地に線を引いて覚えた将棋ではない。商人が商談を兼ての手慰みでもなかったから、櫻井にかなうものはいなかった。

「倉子城には指し手がおらんのう」と櫻井は嘯いた。

 名うての将棋指しが苦もなく駒を投げた。



「おやじ、誰かつえい者はいねえかい?」

 と嘉平に髷を結って貰い乍ら薬問屋の林不一が言った。

「旦那はどうだったんです」

「五十手も保たなかった」

「旦那が相手でもね、そりゃあたいしたもんだ」

 嘉平は感心したように言った。日頃の人を見下す姿勢はなかった。

「あの高くなった鼻をへし折ってくれれば百両出してもいい」

 林は負けたことが悔しいのか、言葉に忌ま忌ましさを乗せて言った。

「船倉に甚六という男がいますが、なかなかの指し手だと睨んでおりますが・・・」

「甚六、あの賭け将棋ばかりしている奴か、あいつは駄目だ」

「知っていなさるんで・・・」

「ああ、甚六に勝った奴が盤の前に座ったが三十手も持たなかった」

「へえ、そうですかい、それじゃああっしにや心当たりはありませんやぁ」

「何でも甚六は金が賭けると滅法強くなる・・・と言うことは聞いたが・・・」

「旦那、甚六は根っからの人足ではありませんな。なにか訳が・・・。将棋好きが名乗り出ないのも妙なものですよ」

 嘉平は桂馬を飛ばした。

「うん、たしかに、どうにかして代官の前に座らせたいな」

 林は王の頭に歩を指したような言い方をした。

「金のためには指すかも知れませんょ」

「うん、金の薬を盛るか」林らしい言葉が出た。

「百両お出しになるんですね」と嘉平は林に詰め寄った。

 林は大きく頷いた。

「決まった。それじゃ、嘉平が段取りをつけてくれるのですな」

「へい、金の中は取りませんが、なんとか甚六を・・・。備中が江戸に虚仮にされたんじゃあ腹の虫が納まりませんからな」

「それじゃあ、頼みましたょ」林は一見好々爺のように見えるが強かな男だった。

「へい」帰って行く林を見送りながら、あのけちがよくもと思った。

 林の話に嘉平が乗ったのは、櫻井の日頃の横柄な態度が気に喰わなかった事と、林から百両出させて鼻をあかしてやりていと言う、両方の気持ちが動いたからだった。

 こうなりゃ、どうしても甚六に代官と勝負をさせなくちゃいけねえ。指せるだけでなく勝たせなくてはならない。嘉平は思案にくれた。

 時が流れて、西陽が土間の上で遊び始めていた。

「甚六には角浜に馴染みの女がいる」誰かの声が嘉平の耳元でしたような気がした。

 それがあった。月の内半分は通っている。あいつにはそれが弱みだ。

 嘉平は走っていた。

 こうなりぁ男の意地だ。何と言おうがやらせてみせる、いや、やらす。

 どこをどう走ったか覚えていないが、連島の角浜に着いていた。

「息が上がって・・・、手先だけじゃあねえ、頭も体も動かせなくては・・・」

 ゼイゼイと息付きながらへたり込んで思った。

「あにさん、大丈夫ですか」と二階から女の声が降ってきた。

「ああ大丈夫なはずだが・・・」と見上げた。

 細面の優しそうな女が心配そうに見下ろしていた。

「心配のついでと言っちゃあなんだが、倉子城からここへ通っている甚六という男の事は知らないかな」

「甚六、じんろく、さあ・・・。ここじゃあ余程の馴染みでも本当の名前なんか言わないからね」

 まったくだと嘉平は思った。

「それじゃあ、三十過ぎの渋いいい男だが・・・」

「甚八さんの事だろうか・・・」

「そいつだ」嘉平は叫んでいた。

「じぁ、かよちゃんのお客だわ」

「すまねえ、あがらせて貰うぜ」舌が縺れた。

「まだ、外はお天道さまが・・・」

「構わねえ、あっしは倉子城で火消しをしている床屋の嘉平、怪しい者ではねえ」

「かよって妓はいつ頃からここにいるのだい」

 女将に嘉平は尋ねた。

「さあ、一年前位かね、浪華から」

 女将は倉子城の嘉平の名を知っていて安心したのかそう言った。

「それで、幾らくらい前借が・・・」

 嘉平の滑らかな備中弁がゆっくりとなった。

「三百・・・あったけれど、その人が少しづつ・・・」「それで今は」きっぱりと言切った。

「今は、百と五十」

 話がぴったりとあうぜと嘉平は思った。この手だ、金の薬を効かすとは林もよく言ったものだぜ。

「そうか、それで、かよって妓は空いているのかい」

 こじんまりとした部屋にはかよの持ち物がある。鏡に白粉、さくら紙などが置いてあり、真ん中に派手な煎餅布団が敷いてあった。

 かよは小柄で肉付きもいい方でなはかった。

「話してくれないかい」

 嘉平は障子越しに見える亀島を眺めながら聞いた。

「・・・」かよは黙って俯いた。

「悪い話じゃないよ、甚六にとっても、あんたにしても」

「甚六?」かよは分からないという風に言った。

「ここでは甚八と名乗っているらしいが」

 それから長い時が流れた。汐が退いて亀島が陸続きになった。

 かよの重い口が少しづつ開かれようとしたいた。

 その時、障子が開いて甚六が入った来た。

「何も言っちゃあいけねえ。あなたを苦界に落としたのはこの私だ。あの時に私が負けていたなら・・・。私が負けていてもお役御免で済んだが、あなたのお父上はそれで済まないと分かっていたのだが・・・」

「それでは、父と将棋を指した相手の、梶田甚九郎さまはあなたでしたか」

「お父上の藩主と私の藩主が馬を賭けて・・・。つまらん、その為に負けて切腹を・・・。あなたはその為に・・・」甚九郎は頬を濡らしていた。

「それでは、あなたは・・・。その責任を感じられて、私の後を追うように・・・。何もかも捨てられたのですか」

 かよは縋るように問っていた。

「飯島香代殿・・・。私は、あれから一生将棋はやるまいと決めたのですが、駒を見るとついつい手が出てしまった。将棋しか能のない私には・・・。勝ったり負けたりしながら賭け将棋をして少しでも香代さんの為に役だてば・・・」

 西の景色を焼きながら沈んでいく・・・。ここにも一人の馬鹿がいると嘉平は首肯き続けた。

「お願いがござる。川人足の甚六として代官と指させて頂きたい」

 甚六はそう言って頭を下げた。

 そうこなくちゃ面白くねえ、と嘉平は頬を崩した。



 代官所の書院で盤を前に甚六は正座して待っていた。 櫻井は傲慢な態度で入ってきた。

 盤を挟んで向き合った。書院の中には倉子城村の役職者が見守っていた。

「先に」と櫻井は手を前に出して大仰に言った。自信の篭もった言葉であった。

「では」と甚六は上手の香車の頭の歩を突いた。

「それはまた異な手で来るの」と飛車の頭の歩を動かした。

 伊藤かな、と甚六は思った、そう言えば香代の父も伊藤流であったなと・・・。

 櫻井はたかが田舎の賭け将棋指しとたがをくくっていたが、二十手辺りからどうも駒の動きがぎくしゃくしだした。櫻井は焦りを顔に出すまいと懸命であった。

「川人足の賭け将棋、川の流れと一緒で逆らわないのが一番で・・・」

 甚六は冗談を飛ばした。

「貴様は、いや、貴殿は・・・」と周章て出した。

「訳ありでこの勝負ぜひ勝たせて貰います」

「何処の藩であった」

「野暮ですょ。ただの人足、歩のようなものでさあ」

「大橋の、大橋西の・・・」

 櫻井は、額に鼻の頭に汗の花を咲かせていた。



 勝負がどうであったか、香代が甚九郎がどうなったかは・・・。



 今、倉敷市芸文館の中に、大山康晴永世名人を顕彰しての大山記念会館がある。





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